不可能を可能にした「挨拶作戦」体験談

                           代表世話役 太田博之

 私が会社に勤めていた現役時代、1976年9月に会社倒産の危機に直面したことがある。かつて1972年の日本列島改造論 で、“一億総不動産屋”と言われるほどの不動産ブームに乗り、売上額の6割を超える借金をして全国各地の土地を買い漁った。
 しかし、翌1973年のオイルショックでバブルが弾け、不動産は暴落し、借金の返済どころか金利の支払いも出来なくなった。いよいよ「会社更生法」の申請か?と言うところまで追い込まれ、若い社員が会社を去り始め、1977年には保有資産(土地・建物)の売却の話しが持ち上がっていた。
 そんなある日、突然、△△常務・管理本部長(当時)から、「今から、社長とワシと○○会社に行って資産売却の契約をしに行く。君も一緒に来い!これは社長の特命だ!」と告げられた。契約内容は、売買金額は12億数千万円。契約時に売買金額の内の10億円を受領し、一息継いだようだ。
 しかし、この売却物件には大きな瑕疵(欠陥)あり、残りの2億数千万円は敷地内の国有地(里道、水路、海軍省)の買い取り、所有者所在不明・番地記載のミス等問題だらけ。土地の“公図(土地の戸籍謄本)訂正”が出来れば残金を支払う”という条件付き契約であった。
 残りの2億数千万円を回収するため、法務局で土地の権利関係や公図等を調べた結果、内容は想像を絶するもので、何をどうすれば良いのか、さっぱり見当もつかない状況であった。△△常務に実態を報告すると、「何とか年内に解決してくれ。会社には出社しなくて良いからこの仕事に専念して欲しい。困ったことがあればワシに直接相談するように!」との指示であった。
 1週間ぐらい駅前のパチンコ屋で過ごしながら作戦を練った。「海軍省の土地が未だに残っているのは何故だ?よし!情報通の味方を探そう」と考え、地元の“土地家屋調査士”を探し当て、状況と目的を説明した。当時70歳前後で、太平洋戦争時代のことも良く知っており、大いに期待したが、「兄ちゃん、ワシも永いこと地元で仕事をしてきたが、あそこの公図訂正はまず不可能!無駄やと思うから諦めなはれ!」と無下もなく断られた。
 「突破口だけでも教えてください」と食い下がると、「まぁ、手続きとしては先ず農業委員会かな? しかし、あそこは難しいで」とのことであった。しかし、諦めたら2億数千万円が回収できない。とにかく農業委員会にアタックしてみようと決心し訪問した。
 土地家屋調査士から言われた通り、受付段階で“これは難しそうだな…”と実感した。受付嬢は「公図の訂正ですか?それは原則的に無理だと思います」と取り合ってくれず、2回目も、3回目も同じような回答で、上長に合うことも難しい状態が続いた。
 そこで、戦意を失いかけた時に閃いたのが「挨拶作戦」である。雨が降れば傘を差し、暑い日にも背広を着て、鞄を持ち、職員の登庁時間に合わせて、入口の階段の下で、「おはようございます」 「おはようございます」 「おはようございます…」と一人一人の顔を見て頭を下げ、挨拶を2週間程繰り返した。すると、数名の職員から小さな声で「おはよう」 「おはようございます」の返事が返って来るようになった。
 そして、3〜4日の期間をおいて、再度受付を訪ねて、「一度だけでも私の話を聞いて頂きたいのですが…」と言うと、「毎朝挨拶をされていた方ですね。チョットお待ちください」と言い残し、係長らしき職員に小さな声で説明をしてくれたようだ。他の職員も私の顔をチラチラ見ていたが、ほとんどの職員は私の顔を覚えていたようである。
 名刺は貰えなかったが、係長らしき職員が受付に来て、「今日は事務局長がいないので、話は伝えておきましょう」との一言で終わった。その後も二度、三度と訪問し、やっと話を聞いてもらえる状況までに漕ぎ着けた。
 係長は、「事務局長は首を横に振っています。公図訂正に必要な図面や書類は、地下の倉庫に保管されていますが、ダニや虫がウジャウジャいて、膨大な資料の中から見つけ出すのは至難の業。今までやった事例もないと思う。特に今は夏で蒸しかえる倉庫に入ることは難しく、見つかるという確証もありません。事務局長を紹介しますから日を改め、直接面談してください」で終わった。
 意を決し、事務局長に面会を申し出た。ようやく事務局長から「公図訂正が出来るなんて、万に一つの話。しかし、君の執念には参ったなぁ…。古い時代の事は私にしか判らんだろう。お盆休みに裸になって、地下の倉庫で書類を探してみよう。ただし、期待はしないで欲しい」との回答だった。私は心の中で「やった!これで目途が立った!」と心の底から嬉しかった。
 早速、土地家屋調査士に「事務局長が倉庫に入り、書類を探して貰うことになった。今後、どのようなところと、どんな折衝・手続きが必要なのか教えてください」と手土産持参でお願いした。土地家屋調査士は「事務局長が書類を探す?こりゃ可能性があるかな…?」と身を乗り出し「ワシも協力できることは協力する。水利組合との交渉は、私が仲介するから一緒に頑張ってみようか?」と私の強い味方になって貰い、各役員の家を訪問した。勿論夕方から夜の時間帯である。
 約1週間後に、待ちに待った農業委員会から「書類が出てきた。説明をしたい」との連絡を受け“これで残金二億数千万円が回収できる”と確信した。
 後は、土地家屋調査士の協力を得ながら、農地法の五条申請、水利組合の承認、官有地の払い下げ申請、境界確認・測量等多種多様な手続きを並行して進めた結果、約2か月後の11月末に公図訂正が完了した。
 △△常務から、「太田君ご苦労さんじゃった。今日、残金の二億数千万が入金された。慰労を兼ねて、わしのポケットマネーで忘年会をやろう!」との連絡を受け、「今日はヒラメのフルコースや!トコトン飲んでくれ。ワシの気持や!2〜3日休んでも良いぞ」と言ってご馳走をしていただいた。
 久々に出社すると、秘書室から「社長がお呼びです」との連絡があった。社長は笑顔で「よーやってくれたなー、有り難う!」と言って握手され、私にとってはこころに残る貴重な体験となり、「挨拶」の大切さと効果の大きさを改めて認識した。
 爾来、社員や得意先社員を対象にした様々な教育・研修、経営計画策定等に従事したが、延べ7万人の方々に「挨拶」の大切さを訴えて来た。
 
挨拶は…誰でも・何処でも・何時からでも出来る。
       しかも、1円のお金も掛からない。